イギリスの作家 チャールズ・ディケンズ
さやか
あっ!お姉ちゃんの好きなチャールズ・ディケンズ!
ほのか
そう、子どもの頃に観た映画「マチルダ」の主人公が好きな作家がディケンズでそれからずっと、大注目よ。
さやか
そういえば、ディケンズってどんな作家だったの?
ほのか
チャールズ・ディケンズは、イギリス文学への多大な貢献によって、もちろんわたしだけじゃなくて、今でも多くの人々に愛されていルワ。ビクトリア時代の代表的な作家で、壮大な物語、生き生きとしたキャラクター、現代生活の徹底的な描写は、人々の心に残る作品の数々を生み出したの。
ディケンズの生い立ち
ほのか
ディケンズは1812年2月7日、ポーツマスに生まれたの。
ほのか
9歳で学校に通えることになるんだけど、ディケンズの父親が窃盗で投獄されちゃって、それ以来ディケンズの環境は一変してしまうの……子どもでありなら、ウォレン社の靴墨工場で働かされ、ひどい環境と孤独と絶望に耐える日々を送っていたそうよ。
さやか
そんなに幼いときから、工場で働いて……初っ端から波乱万丈だよ。
ほのか
ただね、その3年後、ディケンズは学校に戻ることができたの。でも、この体験は忘れられなくて、ディケンズの代表作である『デイヴィッド・コパフィールド』(1849-59)と『大いなる遺産』(1860-61)という作品のなかで、当時の辛い経験はフィクションとして描かれることになったわ。
さやか
自分自身の経験を作品に反映する作家さんって多いイメージだけど、ディケンズもそうだったんだね。
ほのか
1833年、ディケンズは『モーニング・クロニクル』紙の記者になったわ。新聞社とのコネクションを得て、「ボズ」というペンネームで『ボズのスケッチ集』を出版するの。
それから、1836年4月、『ボズのスケッチ集』を編集していたジョージ・ホガースの娘、キャサリン・ホガースと結婚。同じ月に『ピクウィック・クラブ』(1836-37)が出版され、大きな成功を収めることになったわ。
さやか
新聞社の記者になって、その後結婚!最初はどうなることかと思ったけど、だんだんとディケンズの才能が開花されてきて、よかった〜!って思っちゃう。
ほのか
そうね。ディケンズはこの後も『オリバー・ツイスト』(1837-39)、『クリスマス・キャロル』(1843)、『荒涼館』(1852-53)、『ハード・タイムズ』(1854)、『二都物語』(1859)など数多くの小説のほか、自伝、定期刊行物の編集、旅行記、慈善団体運営などを手がけたわ。演劇にも熱中し、戯曲を書き、1851年にはヴィクトリア女王の前でも上演したりね。米国で奴隷制度に反対する講演をしたり、オーガスタス・エッグやウィルキー・コリンズとイタリアを旅行したり、お仕事もプライベートも充実しているわね。
さやか
俄然、ディケンズの作品に興味が湧いてきた!作家さんの背景を知るっていいね。
ほのか
ディケンズには10人の子どもたちがいて、のちに奥さんとは疎遠になるんだけど、不倫相手の女優エレン・ターナンとは交際を続けていたの。1870年、脳卒中で死去し、現在はウェストミンスター寺院に埋葬されているわ。
ディケンズの作品
デイヴィット・コパーフィールド
大いなる遺産
オリバー・ツイスト
クリスマス・キャロル
荒涼館
二都物語
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