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イギリスの作家 チャールズ・ディケンズ【代表作】

イギリスの作家 チャールズ・ディケンズ

チャールズ・ディケンズは、イギリス文学への多大な貢献により、多くの人々に愛されています。ビクトリア時代の代表的な作家です。壮大な物語、生き生きとしたキャラクター、現代生活の徹底的な描写は、人々の心に残る作品の数々を生み出しました。

ディケンズの生い立ち

チャールズ・ディケンズは1812年2月7日、ポーツマスに生まれました。

9歳で学校に通えることになりましたが、それも父親が窃盗で投獄されたため、ディケンズの環境は一変します。子どもでありなら、ウォレン社の靴墨工場で働かされ、ひどい環境と孤独と絶望に耐えることになるのです。3年後、ディケンズは学校に戻されましたが、この体験は忘れられず、代表作である『デイヴィッド・コパフィールド』(1849-59)と『大いなる遺産』(1860-61)のなかでフィクションとして描かれました。

1833年、ディケンズは『モーニング・クロニクル』紙の記者になります。そして、新聞社とのコネクションを得て、「ボズ」というペンネームで『ボズのスケッチ集』を出版しました。1836年4月、『ボズのスケッチ集』を編集していたジョージ・ホガースの娘、キャサリン・ホガースと結婚します。同じ月に『ピクウィック・クラブ』(1836-37)が出版され、大きな成功を収めました。

オリバー・ツイスト』(1837-39)、『クリスマス・キャロル』(1843)、『荒涼館』(1852-53)、『ハード・タイムズ』(1854)、『二都物語』(1859)など数多くの小説のほか、自伝、定期刊行物の編集、旅行記、慈善団体運営などを手がけました。演劇にも熱中し、戯曲を書き、1851年にはヴィクトリア女王の前でも上演します。ディケンズのエネルギーは尽きることがなく、米国で奴隷制度に反対する講演をしたり、オーガスタス・エッグやウィルキー・コリンズとイタリアを旅行するなど、多くの時間を外国で過ごしました。

1858年、10人の子どもたちが生まれた後、妻とは疎遠になりますが、不倫相手の女優エレン・ターナンとは交際を続けていました。1870年、脳卒中で死去し、現在はウェストミンスター寺院に埋葬されています。

ディケンズの作品

デイヴィット・コパーフィールド

ディヴィッド・コパフィールド一

 

ディヴィッド・コパフィールド二

 

ディヴィッド・コパフィールド三

 

ディヴィッド・コパフィールド四

 

ディヴィッド・コパフィールド五

 

大いなる遺産

大いなる遺産(上)

 

大いなる遺産(下)

 

オリバー・ツイスト

 

クリスマス・キャロル

荒涼館

荒涼館1

 

荒涼館2

 

荒涼館3

 

荒涼館4

 

二都物語

二都物語(上)

 

二都物語(下)

 

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木佐しょうこ
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