ブロンテ姉妹
ほのか
イギリスのヴィクトリア時代を代表する小説家の3姉妹、ブロンテ姉妹についてご紹介します♪
ブロンテ姉妹について
ほのか
シャーロット・ブロンテは1816年4月21日に、エミリー・ブロンテは1818年7月30日に、アン・ブロンテは1820年1月17日に、いずれもヨークシャーのソーントンで生まれたわ。姉妹には、ブランウェルという弟もいたの。
さやか
そっか。この三姉妹がのちに作家さんになるってことだよね。すごい〜!
ほのか
姉妹の父親のパトリック・ブロンテは英国国教会の聖職者であ、ヨークシャーの荒野にあるハワース村の学長にも任命されていたわ。
1821年に姉妹の母親が亡くなると、叔母のエリザベスが一家の面倒を見るようになるのだけど、ブロンテ家の子どもたちは、孤立した家で幼い頃から物語を書き始めることになるの。
1821年に姉妹の母親が亡くなると、叔母のエリザベスが一家の面倒を見るようになるのだけど、ブロンテ家の子どもたちは、孤立した家で幼い頃から物語を書き始めることになるの。
さやか
心の隙間を、芸術で昇華していくなんて本当尊敬……
ほのか
1846年5月、3姉妹は共同し、自費で『詩集』を出版したの。このとき初めて、シャーロットはカーラー、エミリーはエリス、アンはアクトン・ベルという3人のペンネームが使ったのだけど、この本はわずか2部しか売れないという結果だったわ。
さやか
今では有名だけれど、最初は売れないところから始まったんだね。
ほのか
アンの『アグネス・グレイ』とシャーロットの『ジェーン・エア』は、1847年に出版されたわ。『ジェーン・エア』はその年のベストセラーのひとつになったの。
1847年エミリーは『嵐が丘』、1848年アンは2作目の『ワイルドフェル・ホールの住人』をそれぞれ出版していくわ。
さやか
すごいなぁ〜!
ほのか
ただ、姉妹の弟のブラウンウェルは1848年9月に結核で死去してしまうの。エミリーは1848年12月19日に、アンは1849年5月28日に同じ病気で亡くなったわ。
ほのか
父と二人きりになったシャーロットは、それでも執筆を続けまたわ。この頃には、シャーロットは有名な作家となり、何度もロンドンを訪れていたの。1849年に『シャーリー』、1853年に『ヴィレット』を出版。1854年、シャーロットは父親の牧師であったアーサー・ニコルズと結婚したわ。
シャーロット・ブロンテの代表作
ジェイン・エア(上)
ジェイン・エア(下)
エミリー・ブロンテの代表作
嵐が丘(上)
嵐が丘(下)
アン・ブロンテの代表作
ワイルドフェル・ホールの住人